十代の少年との約束を守っている話

2021/05/29

雑記

t f B! P L

みなさんは、何年も守り続けている約束があるだろうか。

僕もそんなことを意識したことはなかったが、先日ふとしたきっかけで一つの約束を思い出した。

それは、数年前に交わした、「エレ片のライブには一人で行く」という約束。

どうしてこんな約束を交わして、どうして守り続けるほどの価値があると信じているのか。

もし、学校の波に飲まれて、流れ着いたラジオの島でもやはり波に飲まれて、鬱々とした感情を持っている十代の方がいるなら、読んでみてほしい。




数年前に交わした約束

最近、数年前のエレ片を聴き返していると、このような趣旨のメールが読まれていた。

  • 初めてエレ片のライブに行ったときは驚いた
  • 一人客ばかりだろうと思っていたが、全然そんなことはなかった
  • それどころか、必死に探しても十代男一人客は自分以外見つからなかった
  • 今後、リスナー仲間や彼女ができたとしても、ライブには必ず一人で行こうと誓った

この最後の部分というのが、僕が交わした約束だ。

このメールの投稿者である当時の自分自身との約束。

この約束は、このような寂しい思いをする少年の心を少しでも救いたいという思いから生まれている。

もうずっとこの約束を忘れていたが、改めて考えると無意識のうちに守り続けていた。




約束を守っている理由

どうして忘れていたのにずっと守っていたのだろうか。

それは、同じ思いを根底に持ち続けているからだ。

僕自身、十代から二十代になり、多くの面で考え方が変わった。

大それた人生を送っているわけではないが、それでも人並みの経験から人並みに考え、十代の頃の考えを改めることが多い。

そんな中で、この約束については考えが変わっていなかったということが分かり、嬉しかった。




この約束を守ることは、今の自分の幸せを制限することにもなる。

リスナー仲間ができたなら、一緒に行った方が楽しいに決まっている。

彼女ができたなら、一緒に行った方が楽しいに決まっている。


では、それでも守るのはなぜかというと、一つには「今の自分よりも救いを求めていたあの頃の自分を大切にしてあげる」という考えが洒落ているようだから。


少し脱線するが、あるとき、エレ片でやついさんが「70のやついに申し訳ないから健康に気を付ける」という話をしていたことがある。

その場合は、実際に未来の自分に結果として返ってくるのだから意味を持つけれども、僕の場合は実質的な意味を持たない。

いくら「十代の自分に申し訳ないから約束を守る」と言ったって、実際に過去の自分が救われる効果はない。

しかし、そここそが情緒的でよいと思わせる。




ただ、付け加えると、何も全く効果がないわけではない。

これがもう一つの理由になるのだが、過去の自分に対しては効果がなくても、今現在、あの頃の自分のような思いを抱えている少年がいるならば、彼らにとってはわずかばかりの効果があると信じているからだ。


少しだけ言い訳をすると、たまたまライブを観に行く日が同じになった知り合いとライブ後にご飯に行ったりしたことはあった。




十代の自分へ

一人きりでいることは、良くないことの方が多い。

多くの人と上手く交流できるなら、ぜひそうしたほうが良い。

人生では、望むと望まないとにかかわらず人と交流しなければならない場面が訪れる。

それに、人と交流することが幸せにつながることが多い。

自分は一人の方が気楽といっても、それは単なる強がりで、本当は誰よりも交流を欲していることが多い。

だから、上手くやれるなら、そうしたほうが良い。




でも。




そんなことは全部分かっているだろう。

色々と言い訳をこねくり回してはいるが、本当はただ羨ましいだけなのも、もう自分が一番良く分かっているだろう。

羨ましい自分を認めればいい。


それでも認められなければどうするか。

安心してほしい。

そういうときのために、僕が約束を守っている。

どれだけ周囲が楽しんでいるように見えても、全員がそうではない。

見えない、サイレントな存在がたくさんいる。

ライブ会場で、僕の場合は見つけられなかったけれど、ちゃんと見渡せば同じ存在がいるかもしれない。(その日、僕がいれば僕はそうだ。)

そして、ライブ会場に来る人自体も一握りだということを忘れないでほしい。

その裏に、もっとたくさんの、本当に色々な背景を持ったリスナーがいる。

ある界隈―例えばラジオ―に行き着く人々には、一定の傾向はあるかもしれないが、決して一様ではない。

だから、上手くやれない自分も、そんな自分を守るために言い訳してしまう自分も、全部悪くないから、ありのまま受け入れてほしい。






思った以上に恥ずかしい、痛いような文章になった。でも、そんな自分を認められる、お手本ということで、言い訳しておく。