エレ片のポッ!が終わる。
始まって一年、スポンサーさんもいるしPodcastの方が続けやすいだろうと思っていたので最初に聞いた時は意外だった。(ミライズ矯正歯科南青山様、ありがとうございます。)
2010年4月に15歳でエレ片と出会ってから16年、一度も欠かさずに聴いてきた。初回から出会っていれば当然20年全て聴いただろう。出会うのが遅かったのが悔しいが、小学生で出会うのはなかなか難しい。
生活の一部どころか人生の主要な要素であり、生きる元気をもらえる糧だったので、当然悲しかった。
でも、不思議とそれよりも強く感じたのは、本人たちが望む形になっていればいいなということだった。
ファンの僕がどう思うかとか何を望むかとかはどうでもいいから、僕がファンである三人が納得する選択であることを願った。
2/23のエレマガのやついさんのコラムを読んで少し安心して、エレキコミックの新番組の開始発表と3/16のダンワーランドを受けて本格的に安心した。
コント太郎が終わったときも、ケツビが終わったときもブログを書いている。
振り返れば、やはり放送内容の変化を感じるし、番組終了の発表に対する自分や周囲の反応も変化していると感じる。
三度にわたる終了を受け止めて考えたのは、タレントもファンも変わるということ。
僕がエレ片を好きになったのは、1対2の構図がコロコロ変わりながらわちゃわちゃ楽しそうに話しているのが面白かったからだった。
中でも個人的にはやついさんがいじられているときが好きで、歯の矯正にスカウトされた話と犬を飼い始めた話はやついさんのエピソードトークの面白さと間に茶々を入れられる感じがたまらなく面白くて何度聴いたか分からない。
しばらくすると、僕の印象ではやついさんがいじられることは少なくなっていった。
もちろんエレ片は大好きなんだけれども、僕の一番好きな部分の出現頻度が少し落ちたようで、勝手に本当のエレ片はそうじゃないだろうみたいに思うことがあった。
今考えればタレントに自分の理想を押し付ける厄介なファンになってしまっていた。申し訳ありません。
そこからまたしばらくすると、自分の考えも変わっていき、今のエレ片をそのまま楽しめるようになった。
自分の中でたった数年でも目まぐるしく考え方が変わるのを実感して、エレ片を含めて誰だって十年以上続けていれば人生を重ねて変化が生まれるのは当たり前だと思うようになった。
僕は三人が面白いからファンになったけど、ファンになったから、三人が変化しても楽しく応援することができた。
もちろん、今でもわちゃわちゃが出ると嬉しいし面白いけど、そうでなくても心底面白い。
こういう変遷を経て、あぁ僕は本当にエレ片のファンなんだなあと思えるようになった。
別に、ファンだったら何でも盲目的に応援しなければならないとは思わない。
タレントは基本的には物語を売っているわけで、その人のファンと言っても実際にはその人のそのときの物語のファンということが多いだろう。
例えば、自分たちだけが知っている存在が段々と売れていく過程の物語が好き、という人は多いだろう。
そして、売れ切って安定を手にすると、物語が変わってしまったので応援の熱量が失われてしまう。
その人のファンだったことに嘘はないけれど、その人とその物語が合わさって大きな熱量が生まれていた、という状況は想像に難くない。
僕はそういう人が本当のファンじゃないとか、そういう応援の仕方は良くないとかは全く思わない。
好きな人を好きなときに応援すればいいと思う。
でも、自分がその人に期待していた物語が失われたときに、勝手に自分の理想を押し付けるのは避けるべきだろう。「昔はもっと○○だったのに売れて変わってしまった」のように。
僕にとっては、エレ片はそれでは終わらないほどファンになれたということだと思う。
それがエレ片で心底よかったと思う。
エレ片の20年間の軌跡は、僕の人生の中にこれからもずっと生き続ける。
過去の思い出としてだけではなく、エレ片を通じて感じ考えたことはこれからもずっと僕の人生に影響を与え続ける。
そういう人が、世界中にたくさんいる。
こんなに素晴らしいことはないんじゃないだろうか。
コント太郎が終わってからふとしたタイミングでTBSラジオさんにエレ片を終わらせないようにお願いするポストをしてきましたが、これからは三人が望む形になるように祈っていたいと思います。
エレ片の皆さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。
これからも心から応援しています。
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